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★帰国子女をサポート「富士見台小学校たんぽぽの会」
違いを学んで理解を深める
【ご近助コンシェルジュ 宮崎・宮前平・神木・けやき平地区担当/南、2023年3月12日 記】
私には海外に住む妹家族がいます。
その家族が一時帰国することがあるのですが、電車に慣れていない子ども達に、電車でしゃべっちゃいけません、お店ではマスクをしましょうなど、海外にはない日本人のマナーをどこまで伝えやらせるかなど、判断に迷うことがありました。
そんな経験から宮前区には帰国子女が多いのにサポートはないのかしら、と考えるようになり、いろいろ調べる中で富士見台小学校に帰国子女をサポートする「たんぽぽの会」があると知り、お話を伺いました。
<マナーや躾は国によって違う>
日本では、教室で誰かが誰かに「アホか!」と言ったり、「なんでやねん」と頭を叩いたりしても、問題視する人はあまりいないですよね。
でも、これを「野蛮」と感じる人がいるとしたらどう思いますか?
まさか、嘘でしょう!と思いますか?
いいえ、これは実際に起こっている出来事です。
欧州では「バカ・アホ」と言う言葉でツッコミいじるといった文化がないため、日本の学校で子どもたちが軽い気持ちでそう言いあうのを見て、帰国子女のなかには文化やニュアンスが伝わらず、野蛮な国だと、日本が怖くなってしまう子どもがいたのだそうです。
<国境を越えたら、常識は変わる>
取材当日、たんぽぽの会による「各国の学校のもちものの違い」と言う展示を見ました。そこにはカラフルでおしゃれなリュックやお弁当箱、そして教科書などが並んでいました。日本とは全く異なる習慣があることがすぐにわかる素敵な展示で、これなら子どもたちも楽しく違いを学べるだろうと感じました。
人は情報の80%以上を視覚から得ていると言われます。街で派手な服を着ている人をみれば自然と目がいくし、山の中で赤い花が咲いていれば目に付く。それは自然なことで、好奇心や発見をもたらす良いことだったりします。
でも、これが、いざ学校となると話が変わってしまいます。
目立つことがコミュニケーションを妨げる時があるのです。
ただこれもお互い様で、聞きなれない言葉と見慣れない持ちものに、 その子だけなんで違うのか理解ができない子どもも、 日本人が「バカ、アホ」ということに驚く子どもも、違いに馴染めないのはどちらも同じ。
どちらともに理解を深める必要があります。
子ども達に悪気がなくても、言われた側は傷つく、楽しいはずの学校がとんでもなく辛い場所になってしまいます。 そんな時、助けてあげられるのは、大人であり、同じ体験をした方々なのでしょう。
<大切な転校準備>
たんぽぽの会では、入学前の準備から支援します。
学校生活で必要なランドセルやピアニカなどの貸し出し、体操着のゼッケンの名前の書き方の説明書配布など……。特に体操着については、決まった体操着がなかったり、名前を大きく書かないなど、体操着文化に慣れていない子どもが目立ってしまわないように配慮します。
他にも様々な取り組みがありますが、総じて言えるのは、子どもたちが日本に無理に合わせすぎず、上手に溶け込めるよう、ハードルを下げているという印象です。
たんぽぽの会にそのような配慮ができるのは、富士見台小学校が帰国子女受け入れ校として、長年理解と改善を繰り返してきたからだと思います。
たんぽぽの会は、帰国子女の父母の方たちに存在をまず知ってもらうことを大切にしています。
相談できる人がいると知っておくことは、心の余裕になります。 知っているか、いないかは、イザという時に全然違うのです。
【写真:各国の学校へのもちものの展示】
すべての子どもが自分らしく
年間100組以上の帰国子女の転入転出があるという富士見台小学校。
同じように、どの学校にも転校がつきものです。私も子どもの頃に地方へ転校したことがあります。
首都圏の子が地方に行くと目立ち、残念ですが、標準語をしゃべる私は「ぶりっこ」といじめにあいました。当時、ある芸人のぶりっこというギャグがはやっていたのです。
首都圏では標準語をしゃべるだけでぶりっことは当然言いません。 でも地方の子には標準語の響きは優しく可愛いく、テレビの中のアイドルがしゃべる言葉のように聞こえたのでしょう。
違う持ち物を持つ私は、おしゃれで特別扱いされているように見えたでしょう。
当時の私には、その感覚がわかりませんでした。
ぶりっ子と言われていたテレビのアイドルは、いじられているのであり、いじめられたわけではありません。
大人から見たら、たいして悪気のない子どものじゃれる様子に見えたかもしれません。
しかし、幼い私はぶりっこといわれるのが本当に嫌でした。
標準語が目立つと知っていたら、私は、親は、どうしたでしょう。
きっと先生に事前に伝え、相談したのではないでしょうか。 残念ながら、当時は親も私もそんなことはつゆ知らず。私は転校を楽しみにしていたのに、一転、とんでもないつらい学校生活になってしまったのでした。
たんぽぽの会のような場所があったら、私は転校初日に喧嘩せず、全然違った対応をしていたかもしれないと思います。
子どもの世界には幼いからこその無理解があります。
だからこそ、学校を子どもたちが理解し合える場所にしていく努力をしてあげるのが、私たち大人がすべきことです。
子どもたちの無理解に向きあって、そして子ども同士だからと甘く考えず、小さな理解を積み重ねていくこと。 それが子どもの成長のために大切なのだなと、たんぽぽの会の活動を通して考えさせられました。
取材してから、大変遅い記事になりました。
どう書くか、ものすごく悩みましたが個人的にとても意味のある出会いを頂きました。
「子どもって良いな」改めて愛しい存在だなと思います。
全ての子どもが自分らしく、堂々と、花咲く人生を生きていけますように!
取材させて頂いて誠にありがとうございました。
これからも多くの子どもたちが素敵な学校生活を送れるように、たんぽぽの会の活動を応援しています。
【写真:富士見台小学校入り口。校名が英語で。】