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★地域の歴史は誰のものか? 「オオカミの護符/うつし世の静寂に」を通して見る未来

地域の歴史は誰のものか? 「オオカミの護符/うつし世の静寂に」を通して見る未来

【ご近助コンシェルジュ 初山・菅生・水沢地区担当/まゆみ、2023年10月03日 記】


梅雨明けを待たず、もうすっかり夏真っ盛りとなった722日、「SDGsシネマ@宮崎台1周年記念映画会」(主催:一般社団法人環境問題翻訳チーム・ガイア+英学塾)と題して企画された映画上映会に参加してきました。場所は、土橋にある映画製作会社『ささらプロダクション』の拠点「谷戸の下」です。

 

この上映会には、ご近助コンシェルジュをまとめる『宮前まち倶楽部』のメンバーであり、そして上映会の主催者であるガイアの辻麻里子さんにお声掛けいただいき、参加しました。きっと、以前の記事から私の興味を察してのこと。取材と言えど、ありがたく、楽しみに出掛けました。

1991年(32年前)、結婚や子育てを機に専業主婦になった東急田園都市線在住の女性の仕事を創出するため、東急電鉄がスタートした「セラン」という事業があったそうです。辻さん(次の写真左)、徳野千鶴子さん(次の写真右奥)、宮島長子さんはその「セラン」で出会い、英語の翻訳チームとして動き始めます。1992年に開催された地球サミット(開催:ブラジル/リオデジャネイロ)以降、この分野の仕事が増え、「環境問題」をテーマに30年、市民活動をしながらチームで翻訳に向かい合ってきたと言います。昨年8月、「SDGsなど社会課題をわかりやすく理解するには映画がいい!」と意見が一致し、20年間英語を教えるために開室してきた「英学塾」の一室を利用し、映画上映会を毎月開催することになりました。今回の上映会は、その1周年を記念する回!場所は土橋「谷戸の下」、映画は「オオカミの護符/うつし世の静寂(しじま)に」、地域の価値を改めて見つめ直すのにピッタリのシチュエーションでした!

左は最新映画「ものがたりをめぐる物語」(2022年制作)のパンフレット

左は最新映画「ものがたりをめぐる物語」(2022年制作)のパンフレット


映画の内容について

映画上映は2部に分かれていて、午前中は「オオカミの護符」、午後は「うつし世の静寂(しじま)に」が上映されました。上映後は、それぞれランチ・カフェとともにフリートークの時間が設けられ、感想、意見を述べ合いました。

 

「オオカミの護符 ~里びとと山びとのあわいに~」(2008年制作)作品紹介/配布資料より

ニホンオオカミは絶滅したという。しかし、関東のお百姓は今もなお、お狗(いぬ)さまのお札の前で頭を下げ、祈っている。

オオカミは、なぜお札に描かれたのか。素朴な問いを手掛かりに関東平野を囲む山々を訪ね、人の話に耳を傾ける。次第に映画は、大都会のアスファルトの下に眠る関東の古層の世界へと観る人を誘う。宝登山(長瀞町)の麓では紙のお札ではなく、木製の「お箱」に描かれた御眷属様(オオカミとされる)を貸し借りしている。奥多摩の旧家の神棚には、オオカミの頭骨や肩甲骨が祀られていた。最後に三峯神社に神領民として暮らしてきた古老が、冒頭の素朴な問いにひとつの問いを与えてくれる。

 

「うつし世の静寂に」(2010年制作)作品紹介/配布資料より

自然との共生という「おごり」ではなく、その営みに人がまず身を委ねる。

人の暮らしは今も昔も自分の力や家族の支えだけでは成り立たず、様々な人々の助けを必要とする。みんなで力を合わせて物事を達成するときに、我々の先祖は何を拠り所にしてきたのか?川崎市宮前区初山では今も様々な「講」が組まれ、人々が支え合いながら暮らしている。映画は最後に明治時代に神社合祀により社を失った「杜(もり)」の中で獅子舞が再現されていく。三世代(10代から80代まで)が同じ舞いを繰り広げる姿に、講によって育まれてきた人々の安らかな心情が浮かび上がる。

 

「土橋」そして「初山」。見慣れている景色が映画に登場すると、思わずワクワクします。フリートークでは「学校で子どもたちに見せて欲しい!」といった意見がありましたが、大人でも何度も見て考察を深めていく内容。近隣小学校・中学校の児童に見せて理解できるか、と言ったら悩ましい。まずは多くの大人が見て、自分の住んでいる土地に興味を持つ。それが最も大事な気がします。

主催者・辻麻里子さんのご挨拶。

主催者・辻麻里子さんのご挨拶。


変わる「暮らす場所」に対しての感覚

今回の映画上映会に参加していたのは20代から80代?まで、宮前区を中心にお隣・横浜市青葉区の方や都内在住の方も。半年前に宮前区へ引っ越してきたという若い方をはじめ、40年前、30年前、15年前、長野、山梨、静岡、東京から移住したという方。午前・午後、各回20名の定員でしたが、時期も様々、いろんな経緯を辿って今ここに暮らしていることが分かりました。

 

狩りから稲作へ、「定住」という概念が生まれたのは大昔。明治の近代化(封建社会から資本主義社会へ)、そして第2次世界大戦を経て、国家のあり方と価値観が大きく変わりました。インフラ整備によって地方都市は結ばれて、今や、羽田から那覇まで飛行機で2時間半、東京から青森まで新幹線で3時間。地方の市区町村は移住促進を高らかに謳い、豊かな田舎暮らしを提唱しています。世界都市は結ばれて、日本の真裏・ブラジルまで24~26時間。スポーツ選手や技術者、芸術家、日本から飛び出し、世界を自由に行き来し活躍する人々。暮らす場所は自らの意思と価値観のもとに選べるし、何度だって変えられる。誰にも何にも拘束される謂れはないのです。

 

私の両親は、どちらも東京生まれ。夏休み、冬休み、「帰省」と言っても、祖父母の家は東京・神奈川なので、飛行機や新幹線に乗って「帰省」する友人に大変羨ましい気持ちを抱いたものです。「田舎には何もない」なんて言うけれど、川や山、海、大自然がある。都会にない景色がある。私にとってはただそれだけで憧れの対象でした。一緒に上映会に参加した母は、ここ宮前区に移り住んで40年。これまで、ここに対しての興味関心を真剣に話したことはなかったけれど、振り返ると、母の影響で私は『オオカミの護符』を知り、今こうして文章を書いています。私の親がそうであるように、高度経済成長期以降、ここ宮前区に移り住んだ人が数え切れないくらい沢山います。7080代は何を思うのか。そして新たにここに住もうと決めた2030代は何を思うのか。

 

きれいに整備されてきた街。移住者の方が大多数になって久しい。移住者たちの知らないところで静かに営まれてきた「講」の存在。移住者たちの土地に対しての「愛着」「郷愁」の欲求。コロナ禍を経た今、改めてここに対しての価値の共有を図ろうと尽力する人が増え、声をあげる機会が増えた。そんな印象を受けます。

午後の回はおやつとともに。話に熱がありました!奥でお話しするのが映画監督・由井英さんです。

午後の回はおやつとともに。話に熱がありました!奥でお話しするのが映画監督・由井英さんです。


映画「出稼ぎの時代から」

上映会参加者の一人、籔本亜里さんから映画上映会のご案内がありました。

 

日時:2023年10月15日(日)13時 〜 /16日(月)11時〜

場所:宮前市民館

「出稼ぎの時代から」2022年制作)作品紹介 79分(付録6分)

1966年初冬から翌年にかけての川崎市北部の建設現場と飯場の暮らしを描いたスライド作品。多摩田園都市開発に山形県白鷹町から宮前区馬絹に出稼ぎに来た本木氏が自ら撮影した当時のスライドをもとに制作された。

 

◎毎日新聞 2022/12/22 東京夕刊記事「出稼ぎ写真結んだ縁」より、一部抜粋

男性は白鷹町で農業を営む本木勝利さん(78)。東京オリンピックを控えた1964年春、地元高校の定時制を卒業して農業に従事。秋から翌春まで茨城県などに出稼ぎに出た。「1人前の農家の男性は出稼ぎに行くのが当たり前という風潮でした」。

 翌65年と66年の出稼ぎ先は、現在の宮前区の東急田園都市線沿線。測量助手や宮崎台駅前の歩道工事などに携わった。本木さんはカメラを携帯し、白鷹を出発する出稼ぎ仲間の様子をはじめ、出稼ぎ先の宿舎や同僚、白鷹に現金を送るときに利用していた郵便局などを撮影した。

 帰郷後、写真に音声を付け、「出稼ぎ」と題したスライド作品に仕立て、地元の視聴覚コンクールに出品した。出稼ぎに行かざるを得ない地方の実情なども盛り込んだ。

 すっかりその存在を忘れていたスライドや音源が2020年夏、町教育委員会の倉庫から偶然見つかった。貴重な記録として反響があり、DVDにして知人に配った。

 宮前区まちづくり協議会の理事長、籔本亜里さん(64)は昨年6月、本木さんの出稼ぎの記録を紹介する記事が、地域情報紙に載っているのを目にした。詳しい内容を知りたくて、さっそく本木さんに連絡を取った。

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本木さんは「今になって出稼ぎを考えると、大都市にインフラを整備して、その結果、地方は少子高齢化が進んだ。集落を維持できないところもある。一方で都会も高齢化などが進んだ半世紀だと思う。」互いに話し合えば、新しい道が出てくるのではないか」と交流の継続を望む。

 

半世紀前、山形県の農村からここ宮前区に出稼ぎに来た青年は78歳になった。「自分が開発に携わった町」「そこに住む人々」に何を思うか。私たちは、そういう人の存在や街の成り立ちを知らないまま、この半世紀、便利な生活を享受していたことに何を思うだろうか。

配布資料:毎日新聞 2022/12/22 東京夕刊記事コピー

配布資料:毎日新聞 2022/12/22 東京夕刊記事コピー


「講」に変わるものはないのか?

「現代において、「講」に変わるものは何だろう?」最後はいつもそこに辿り着きます。はっきりと「人(移住者)はつながりを求めている」ことはわかっているものの、とにかく忙しく時間がないし、必要以上の関わりを求めない。干渉されたくもない。(けれどつながりを求めている。笑)かと言って、昔に戻ることもできない。

過去、202011月に開催された「オオカミの護符」上映会の時も、映画の後、感想を述べ合う時間はありましたが、今回、映画上映以上にその後のフリートークに重きを置かれて、参加者との対話を増やそうとしている姿勢が強く感じられました。上映映画の監督・由井英さん、著書・小倉美惠子さんの、以前よりも強い意志と、ガイアの皆さんの気持ちが共鳴して「前向きに意見が交わせる」そういう場があるように思いました。

初めて顔を合わせる知らない者同士が、正解がない問題に対して「こうじゃないか?」と熱く意見を交わす。簡単なようで難しい。年齢・性別・出身地を問わず「些細なことでも、感じたことを話して」と耳を傾けてくださる姿とその場力には、何か言い表せないものがありました。

 

仕事柄、農家さんとやり取りする事が多くあります。「代々この土地で」と聞くと、敵わないと思うことも多々。土地や伝統の継承、地域への貢献度合いの深さには、いつも頭が上がりません。何者でもない自分が、この地域の歴史の変遷を調べ、自身の興味のままにこうして書き連ねることが、果たしていいのか悪いのか?「悪い」ということはないだろうと思っていますが、自己満足に過ぎない。そんな気持ちが常に付き纏います。興味はあれど、触れてはいけない世界。深掘りしてはいけない世界。そう簡単には知ることのできない世界。見えている現実の裏に、見えない、理解できない歴史の積み重ねを感じます。

 

「地域の歴史は誰のものか?」―――誰のものでもなく、みんなのものであって欲しいと思います。言葉一つで誰かを傷つけたり、傷つけられたりする時代。発言をしない方が、意見を持たない方が賢いのでは、とも思ってしまいますが、ここに住む人に平等に知る権利が与えられたものであって欲しいと思います。誰でも関わっていい。誰もが意見していい。由井さん、小倉さん、そして辻さんがこういう機会を設けてくださるからこそ、会話から広がっていく。文字に残すからこそ伝わっていくことがあると信じたい。この記事を読んで下さる方の中に、自分が住む街のことをもう一段深く興味を持ってくれる方が一人でもいたら大変嬉しく思います。

 

 

 

参考・関連サイト

<過去寄稿> 「オオカミの護符」上映会が開催されました

2020127日記 https://www.miyamae-gokinjosan.com/news_disp.php?id=31


<令和2年国勢調査速報、統計ニュース 〜川崎市の人口の推移〜>

https://www.city.kawasaki.jp/170/cmsfiles/contents/0000054/54365/r3-03toukeinews.pdf

 

タウンニュース2021/6/25 記事「宮前の記録 山形で上映」

https://www.townnews.co.jp/0201/2021/06/25/580139.html

 

一般社団法人 環境問題翻訳チーム・ガイア Our Mission Statement

https://gaia-translators.jp/?page_id=166

 

Home Town Note』ささらプロダクション

https://www.hometownnote.com/page/about

午後の回、集合写真

午後の回、集合写真


写真一覧

「SDGsシネマ@宮崎台1周年記念映画会」案内チラシ

「SDGsシネマ@宮崎台1周年記念映画会」案内チラシ

午前の会はランチとともにフリートークの時間。

午前の会はランチとともにフリートークの時間。

「オオカミの護符」著書の小倉美惠子さん。

「オオカミの護符」著書の小倉美惠子さん。

伝説のカフェ・土橋「谷戸の下」※現在は営業を休止しています。

伝説のカフェ・土橋「谷戸の下」※現在は営業を休止しています。


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