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★太陽のお家 TIDA’shouse
親子カフェを作りたい!というあの日の約束
【ご近助コンシェルジュ 野川・梶ヶ谷地区担当/小川、2021年1月31日 記】
コンシェルジュとなって、3個目の執筆となります。
自分の活動もぜひ書いてみて、と言ってもらったのでお言葉に甘えて今回は私が管理しているTIDA’shouse(ティダズハウス)について書いてみました。
TIDA’shouseというのは、西野川にある平屋の一戸建てのコミュニティスペースです。
*駄菓子屋→火曜日・水曜日・木曜日15:00~17:00
*お茶べりハウス→第2第4水曜日9:30~12:30 300円フリードリンク
*レンタルスペース(予約制)
*ビオスチーム(発酵よもぎ蒸し。予約制)
の4本柱で、基本私が1人で管理しています。
放置されていた空き家をリノベーションして、使えるようにしましたがそれは下記に詳しく書くとして、ここを始めたきっかけって、一体・・・?
宮前区は元々私の地元で、0歳からずっと宮崎台で育ちました。楽しい事も悪い事も(笑)宮崎台でたくさんしてきましたが、高校を卒業と同時に野川に実家ごと引越し、29歳で長女を出産。しばらくは主人の住んでいた狛江市で子育てをしました。
当時母は既に他界、ひとりっ子できょうだいのいない私は、初めての子育てに戸惑い、産後うつ状態。
それでも、狛江市の母親学級で出会った人生初のママ友たちに何度も救われながら必死に子育てをしていました。
とは言え、1人で暮らしていた父も心配だし、夜の仕事の主人は子育てに全て協力とはいかず、家族で私の実家に移り住むという選択を、娘が8ヶ月の時に決断。
地元宮前区での子育てがスタートしたのです。
でも、あれ?
ちょっと待って・・・
地元の友達はたくさんいるけど・・・ママ友が1人もいないじゃん!!!と、気付いた時には、不安が押し寄せて同時に焦り出したのです。
狛江市では、毎日のように支援センターに行き、みんなで子育ての悩みを打ち明けながら大変ながらもなんとかやっていた。
なんとかやれていた。
ママ友が居ない子育て期なんて、私には恐怖でしかなかったのです。
これはまずいと、そこからとにかく色々出歩き・・・
いよいよ、運命の出会いがあったのです。
とある赤ちゃん会で出会った、私より6才年下で娘たちが同じ年齢・誕生月も同じママ。
なぜか気が合い、家も近く一緒に過ごす事が多くなりました。
とある日、
『いつか親子カフェみたいなことやれたらいいね』と、毎日の変わらぬ子育ての日々の中で野望だけは大きく、彼女とは、そんな野望を語るのが楽しみの1つでした。
が、彼女のご主人は転勤で野川に来ていました。
上の子が年長の頃に、とうとう地元に戻ると言い出した。何度も止めたのに・・・もちろん転勤で来ていたので、私が止めた所でどうにもなるわけもなく。
私たちの野望を叶えることもなく、彼女たち家族は地元の九州へ。
それからは、2歳違いで生まれた2人の子育てに必死で、それでも私の頭の片隅には〔親子カフェ〕というのが見え隠れ・・・
どやったらできるだろう、いやいや、出来ないよなあ。の、繰り返し。
そのまま月日が流れ、新たに出来たママ友と、今度は〔ママフェス〕をやろうと話がまとまり、現在私が代表として開催している【SUNFESTA】ができあがりました。
親子カフェというのは、ずっと念頭にありながら、イベントも主催する中で
子育ては、まずはお母さんが笑顔でいなければ♪という想いが強く、イベント開催ではたくさんの笑顔に出会う事ができ、毎日がこんなに楽しければ母親も子供も良い時間が過ごせるよなあ、<毎日がSUNFESTA>と思えるような拠点を作りたいな。
と、密かに想い始めたのです。
生涯の心友となった(いまだに九州と神奈川をお互い行き来しています)1人のママ友と「親子カフェやりたいね」語りあったこと。これが私の根っこになり、その後であったママ友と始めた「SUNFESTA」での手ごたえから気軽に集まれ、お茶して楽しいことができる拠点を作りたい想いをリアルにすることを決意、TIDA’shouseへの道のりがスタートしました。
【写真:子供たちも生涯親友】
『いかようにもやっていいよ』の仏の言葉
密かに思ってはいるももの、
・資金は?
・場所は?
・人は?
クリアするべきことは色々あるし、日々の生活に追われ月日は流れていきました。
けれど、毎日目にする自宅前にはいつの間にか空き家になった、放置されている平屋の一戸建て。
そのうちに、草もどんどん生い茂り、お家が見えなくなってきていて・・・
もったいないなぁ・・・
なんとなく思っていて、顔なじみの大家さんに聞いてみました。
『あのお家どうするんですか?』『なに、使いたいの?』思わず『使いたいです!』
と口に出てしまった。
『いかようにもやっていいよ』
『え?壁に塗ったり絵を描いたり床ぶち抜いたりして良いんんですか?』
『好きにやっていいけど、使えるのか』
正直、私もどうなるか全く検討もつかない状況でしたが、駄目だったら
〈駄目でした、てへへ〉で済ましちゃおうと、浅はかな考えだったので、大家さんの仏のようなお言葉により、2018年4月~1人っきりのリノベーションがスタートしました。
ただ、目論みはありました。
まずは、目立つ場所からの草刈りを始めれば、きっと近所のおばちゃんたちが声をかけてくれるはず。
ジャージを着て、頭にタオルを巻き、鎌を片手に草刈りを始めてほどなく、
『じゅんちゃん何してるの?』
近所の顔見知りのおばちゃんたちです。
事情を説明し、おばちゃんたちには『じゃあ花壇係りと言うことで。ここが花で一杯になったら良いなー』などと呟き、気付いた時には色々な花が植えられていました。
草は刈った。花も植えられてきた。
問題はここからです。いや、むしろここからが本当のスタート。先が見えないスタートでした。
この先はどうすればいいんだろう・・・
そして、<てへへ>と終わらせればいいや、という状況にはならなくなることを、この時は知る由も無く、まずは発信だと、日々の作業日や欲しいもの、足りないもの、そして誰か手伝ってと、ひたすらブログに書きまくる毎日を過ごしていました。
【写真:草を刈り、家が見えた】
TIDA’shouseへの道のり本格リノベーションスタート
ブログで、とにかく発信し、ご縁のあるタウンニュースの記者さんにもお願いしてタウンニュースへこの取り組みの事を掲載してもらいました。
そして「お手伝い募集」という記事を見て、ご連絡くれる方もちらほら。
それから、子供たちの運動会の日、突然声をかけてもらい私のブログを読んでくれている方がお手伝いに参加してくれ、ご縁がどんどん広がるうちに、実際の大工さんがお手伝いに入ってくれたり、イラストレーターさんが壁画を描いてくれたりと、本業を生かしてくれての本格的なリノベーションが始まりました。始まっちゃいました!
facebookのDMから、〈実はずっと小川さんを気になっていて、活動に賛同します〉と参加し始めてくれた方もいます。
と、書くのは簡単ですが、何しろボロボロの放置された空き家。トラブルが無いわけも無く…色々な事でつまづきました。
玄関が雨漏りで水浸しの時には、〈終わったな、、、〉と諦めそうになり。
台所の床のカーペットを剥がした時には、あまりの朽ち果てっぷりに〈もう、ここは見なかったことにして、塞いで下さい、、、〉と嘆き。
他にも、水道管は水漏れしていたり、床からは葉っぱが生えてるし・・・そう言えば最初の頃なんて、部屋中猫が走り回って糞便の異臭もあり。THE・お化け屋敷でした・・・。
それでも、次々と増えてくるお手伝いの方々の
〈ここはこうしてみよう〉〈こうすれば使えるんじゃないか〉〈こんな感じはどうだろう〉と、無償での作業だというのに真剣に考えてくれるお気持ちや、結構楽しんで取り組んでくれる姿を見ると、もう後には戻れないし<駄目だった、テヘヘ>なんて口が裂けても言えない状況になってきたのです。
2018年4月からスタートしたリノベーション。
夏の暑い日もエアコン無しで熱中症寸前になったり、絞れるぐらいの汗をかいたり。
秋がきて寒い冬がきて。手が凍る中、作業もしました。
皆さんお仕事や子育て家事の合間に作業に来てくれていたわけですから、本当に大変な1年間だったと思います。
感謝しかありません。
【写真:素人ながらペンキも塗りました】
1年間のリノベーション、グランドオープン
こうしよう、あんな感じにしようと、なんとかトラブルとも立ち向かい、それでも少しずつ出来上がっていくと、嬉しい気持ちで一杯になり、みんなでその度に喜びました。
屋根にのぼり、雨漏りを直し、壁を塗り、床を張り・・・とにかくたくさん作業を重ね(私は願望を呟く担当でしたが)
2018年4月から1年、2019年4月にプレオープン、5月にグランドオープンとなりました。
まさかあの空き家が、使えるまでになるとは!
きっと見守ってくれてた方々も、本当に完成するのかねぇ・・・なんて気持ちだったかもしれません。
〈出来るわけないよ〉と、はっきり言われた事もしばしば。そんな言葉を投げつけられる度に、〈くっそー、絶対にやってやる!〉という意地みたいなものもあったように思います。
プレオープン当日は、たくさんの方が足を運んでくれて、作業してる1年間ではあまり感じることはなかった、、作業に必死だったからか・・・感じる余裕がなかったのですが、
〈楽しみにしてくれる人がたくさんいるんだ〉というのをとても感じた1日になりました。
1ヶ月後のグランドオープンまで、みんなで最後の仕上げに勤しみ、最後に室内の壁に珪藻土を塗り、1年間の証を残し。
5月7日、グランドオープンをむかえたわけです。
ここまで、リノベーションの記事のようになってしまいましたが、それから現在まで、およそ2年間。
果たして、TIDA’shouseは地域にとって、どんな立ち位置で歩んできたのでしょう。
【写真:みんなで証を残した日】
TIDA’shouse の日常
初めに書いたように、大きくは4つのことをしながら維持している場所です。
それはオープンから2年間変わらず、たくさんの人が出入りしながら楽しんでくれています。自分ではそう思っています。
基本的には、私が楽しいと思っていることしかやっていないので、私自身が毎日楽しんでいる訳ですが、
地域としての立ち位置、それは【居場所】という表現がしっくりくるのかなと思っています。
【右の写真:古くても温かみのあるお家に生まれ変わりました】
2020年は特にそれを感じた年でした。
最初の緊急事態宣言が出たとき、誰もが未知のウィルスに怯え、学校も休みになり、家にはリモートワークのご主人。
全員が大変ではありましたが、自分の目線から言うと、やはり母であり妻である方々の負担は大きかったです。
朝昼晩の食事の用意。子供たちの家庭学習のチェック。遊びの相手。そこに通常の家事。
ご主人の食事のお世話にヒーヒー言ってる方もたくさん。
なので、「自粛しなさい」と言う世に反し、早い時間から駄菓子屋を、なるべく毎日開けるようにしていました。
あとから、
「あの時、行ける所があって良かった」とたくさんの声を聞きました。
【居場所】としての役割が果たせていた時間です。
日常のことでは、
駄菓子屋に来てくれる親子さんには『算数の勉強になります』と言ってもらうことが多いです。
消費税は込みで販売しているので、10円~30円が相場のお菓子が多く、一生懸命計算してお菓子を選んでる姿は、なんとも言えません☆
コロナが猛威を振るう前には、イベントや夏祭り、工作教室や、講座など色々なことも開催していました。
他の団体さんがイベントを開催することもあり、こんな日々が早く戻るよう願うばかりです。
また、予約制の〔ビオスチーム〕という〔発酵野草蒸し〕はよもぎ蒸しが進化したリラクゼーションで、今までになかった岐阜発祥の世界初のものです。
こちらは、川崎市では私が初めて取り入れたものとなります。
是非お試し下さい。
詳しくは、下記HPをまずはご覧ください。
月に2回の〔お茶べりハウス〕の時間も大切にしています。
毎回たくさんの方が訪ねてくるわけではありませんが、お茶を飲みながらちょっと一息。
たまには愚痴も言いながら、帰る時には明日も頑張るか、と思えるような空間作りを目指しています。
色々な事をやっていますが、目的はただ1つ。
【みんなの笑顔】です。
TIDA’shouseとは<太陽のお家>という意味です。
沖縄の言葉でTIDA(てぃーだ)とは太陽。
沖縄が大好きなこともあり、ニコニコ笑顔の溢れるお家、ママの笑顔は太陽、ポカポカ太陽のような温かいお家という願いを込めて名付けました。
寄ってくれた方、子供たちが笑顔で毎日楽しく過ごせるようにこれからも変わらずTIDA’shouseを続けていけたらと思っています。
余談ですが・・・
実は、リノベーションを始めてしばらくして、家計の支えだったパートの仕事を辞めました。
収入が少なくなりやはり大変で、少し働かせてもらったりもしながら、1年間なんとかリノベーションに取り組めました。
OPENすると、家賃や光熱費、雑費などの出費もあり、これからもなんとか歯を食いしばりながら気合で継続していこうと、記事を書くにあたり今までを振り返り思った次第です。
最後に。
1年間お手伝いをしてくれた皆さんには、感謝してもしきれず、生涯大切な人たちとなりました。
最初は知らない者同士が、同じ目的に向かい走りきれた時には、固い固い絆で結ばれことを私は強く感じています。
それから、何かやりたいことがあるとき、少しで良いから足を前に進める。
きっと、頭で考え続けるよりは、1ミリでも前進するはず。
そして発信する。
1年間リノベーションという大きな経験をして学んだ大事なことでした。
これからも、【みんなの笑顔】の為に宮前区西野川の太陽のお家から、たくさんのパワーを放出し、楽しく運営していこうと思います。
まだ、足を運んだ事がない方はお気軽に遊びに来て下さい☆
ご連絡や情報は以下のリンクから。
〈TIDA’shouseホームページ〉
〈アメブロ〉
〈インスタ〉
〈ビオスチームについて〉
〈ホットペッパー〉
〈ビオスチーム公式オンラインショップ〉
*紹介コード tidashugを入れて下さい*